老いを考える おばニート

最近、老化が顕著になってきているおばニートですが、亡くなった父母のことをふと思い出すようにもなりました。

父はそれほど老いを感じさせないまま亡くなってしまったので、とてもありがたいのですが、母は亡くなるまで、みっともない姿を晒し続けてくれたこともあり、自分自身も老いていくことに恐怖を感じるようになりました。

母はとにかくプライドの高い人で、外面も恐ろしく良く、身内に対しては酷い扱いしかない人でした。

それは最期まで一貫しており、何度この手で殺してやろうと思ったことか。

まあ、彼女を殺したとて、彼女は外面が恐ろしく良かったので、私が一方的に極悪人扱いされることは明白。そんなわけで、実行に移せるわけもなかったんですけどね。

それはさておき、老いとはどういうものか、どれほど醜いものなのか。

それを教えてくれたのも、その母でした。

介護認定を受けてからの母の老いは急坂を転げ落ちるようなもので、身体機能はおろか、認知機能も著しく低下。

若い頃は身綺麗にしていた母もアッと言う間に同じものを何日も着る=悪臭発生

食べ物や飲み物をこぼして汚れた衣類も気にしないで着る=乞食のような見た目

汚れた下着も、洗濯カゴに放り込むことすらせず、自室の布団の中に隠したまま放置=部屋がトイレ臭

歯磨きをしなくなり、口臭が酷くなり、挙句、虫歯→抜歯の連続で総入れ歯一直線。

認知機能の低下に伴い、歩幅が狭くなり、転びやすくなるが、他人に励まされないと全く動かないため、太りに太った体。

太ったせいで鼻呼吸ができなくなり、口呼吸するので、常にフーッフーッとうるさい。

太ったせいでお尻に手が届かなくなり、トイレットペーパーが使えない上、お尻の肉が増えすぎてウォシュレットが使えなくなり、結果、浴槽が禊の場となり、浴槽の中は常にう〇〇まみれ。

毎日ほぼ同じ物を着ているので、洋服は殆どいらないはずだが、片付けられもしないのに、大量の洋服を断捨離することなく、後片付けは結局彼女の死後、私が担うことに。

食器を洗うのが面倒になり、舐めてキレイするようになる。(実際には、よだれ臭が酷いので、毎日私が洗っていた)

他人に話しかけられるとシャッキリするくせに、娘の私の前では弱いボケた老人を装う。

とまあ、老後初期の母をごく一部思い出しただけでもこれだけ不快な点が列挙できるのですが、とにかく、若い頃の母と比べるともう見るに耐えない状況が次々起こっていったわけでして。

これから、これが我が身に起こることになると考えると、希望が持てないと言いますか。

ですが、せめて母よりはまともな老後、最期を迎えたいなと言う、ささやかな希望はあります。

遺伝は何よりも強いと私は思っているので、抗い続けても母のようになるのかもしれませんが、願わくば、シュッとした感じの老後を送りたいと思っています。