前回は父が亡くなった時の事を書きましたが、今回は母のケースです。
健診嫌いの父と違い、定期健診等を欠かさず受けていた母でしたが、父の死後しばらくしてから、末期ガンが見つかってしまったので、母も父と同様、自宅療養を選択しました。
それから数年の介護の後、母はそれまで状態が比較的安定していたのですが、容体が急変しました。
主治医から「何かあったら、お母様はそのまま動かさず、私宛にすぐ連絡をください」と常々言われていたので、私は慌てて病院に連絡、主治医に母の様子などを伝えました。
ホスピスで穏やかに死へ向かった父の時とは勝手が全く違ったのと、今度は私ひとりなのでかなり動揺していましたが、幸い主治医がすぐに駆けつけてくれ、作業をしながらずっと私に語りかけて下さいました。
そうこうしているうちに、私も徐々に落ち着いてきたのですが、今度は母の呼吸の間隔が空いてきました。(明らかに普通の呼吸とは違った感じになっていきました)
「耳は最期まで聞こえていますよ」
とだけ主治医に言われた(父が亡くなった時にも言われました)ので、何か母に言葉をかけようとしたのですが、結局何も言えず、私は黙り込んでしまいました。(父と違い、母に対しては複雑な思いが渦巻いてしまい、どうしようもなかったと言ったほうが良いかもしれません。こうして母の臨終について普通に書けるのも、父と母それぞれに対する思いが私の中で全く違うからだと思います)
それから(多分)数分後だったと思うのですが、母は静かに息を引き取り、蘇生処置などをしないと予め母本人が決めていたので、しばらくしてから主治医が死亡を確認、
「ご臨終です。大変でしたね。お母様も、あなたも」
確かそのようなことを主治医から言われ、私はその瞬間、頭の中が真っ白になりました。
父の時には泣いていたかもしれない、明らかにそんな状況だったのですが、当時の私は何も考えられず、今まで感じたことのない不思議な気持ちになっただけでした。(この後、私が主治医に何を言ったとか、そういう記憶もスッポリ抜けています)
その後、死亡診断書を主治医から受け取り、親戚や互助会に連絡したと思うのですが、本当にそんなことを自分ひとりでやったのか自信がない程、その辺の記憶があまりありません。(後でFちゃんから聞いた話では、親戚と互助会に私自身が確かに連絡したらしいのですが、我ながら怖い話です)
気付いた時には数少ない親戚が集まり、互助会の方がいろいろ手配してくれていました。
父の時は社葬だったので、会社主導で事が動いていきましたが、母の時は互助会主導で事が動き、私は互助会スタッフの指示にただ従うだけでした。
親戚と一緒に母の遺体を布団に寝かせ、死に水を取り、互助会スタッフに清拭、死に化粧、服の着せ替え等をして頂き、キレイになった母の横で一晩過ごしました。
以上が、母のお通夜前日までの出来事です。
互助会に母が入会していた事と、自宅で主治医に死亡を確認してもらった事で、こうして書いてみると、父の時よりスケジュールにかなり余裕がありそうですが、母の時はひとりで行動しなければならなかったので、精神的には母の時のほうがキツかったです。すべてが終わるまで、緊張しっぱなしだったので。
ずっと緊張していたせいか、当時の事について今でも正確に覚えていないことが多く、キチンと書けていない部分も多々ありそうですが、詳細につきましては、ネットなどでお調べ頂ければと思います。