父が病院で亡くなった時の話 ~泣いてるヒマなんかない


ニートや引きこもりにとって、親が死ぬ=今後の生活を大きく揺るがす出来事になると思うのですが、私のように頼れる親類縁者が殆どがいない場合、ほぼ自分1人で親の死後の事務処理を行うことになるので、まずそれが最初の難関になるのではないでしょうか。

そんなわけで、おばニートの両親、それぞれが亡くなった時の事について、これから2回に分けて書いていこうと思います。(家庭によって様々なケースがあるので、今回も一例として見て頂ければと思います)

まず、父が亡くなった時。

末期ガン(ステージ4)の診断を受けてから数年、ガンの進行が遅かったことと、本人の強い希望で、父は自宅療養していたのですが、最期の数ヶ月はさすがに母と私だけでは介護しきれない状況になったので、ホスピスで過ごすことになりました。

ホスピスに入ると言うことは、先が長いケースは稀。

なので、早速父の会社の関係者、知人・友人、親戚に連絡し、そのお見舞いに対応する日々が、入院後しばらく続きました。

ホスピスでは、前日まで元気に見えた人が、その翌日いきなり亡くなったりすることも多いので、父が亡くなってしまう恐怖はホスピスに入ってから常にあり、そんなわけで、父の死を受け入れることも、死に際しての様々な準備も、ホスピスにいる間にある程度できたので、それは良かったなと今でも思っています。

父の場合は、徐々に衰弱していったので、亡くなる1週間程前には主治医から、「心の準備を」と告げられ、それから私と母は、父が亡くなった後のことを考え、その準備に取り掛かりました。

死後には故人の銀行口座が凍結されると耳にしていたので、死後しばらくの間に必要となる私達自身の生活費、これまでの入院費(退院時の会計で必要)、葬儀にかかる諸経費(父の場合は社葬になったので、これは雑費程度で済みました)等を、まず母が銀行から引き出しました。(当時は今のようにネットが使えなかったので、詳しい情報もあまり出回っておらず、親戚から聞いた話だけを頼りに不安な中で行動していました。後のことを考え、使途不明金が出ないよう、通帳には詳細をそれぞれ記入する事も心掛けました)

そして、死の数日前には、父の兄弟、親友など、ごく親しい人に状況を伝え、最期の面会。

それから、容体が急変したので、母と私で交代しながら、徹夜の看護が続きました。

父が亡くなる直前のことは、かなり年数が経った今でもまだ書く気持ちにはなれないので詳細は割愛しますが、その後、父が息を引き取った後、私達は殆ど泣く暇もなく、お世話になった病院関係者にご挨拶することになりました。(人が亡くなると、すぐ別の方にベッドを明け渡さねばなりませんので、私達が挨拶している間に、病院関係者の手により、遺体の清拭などの処置が速やかに行われました)

その後、処置の済んだ父の遺体に、父が生前気に入っていた洋服を私達が着せ(亡くなる前に看護士さんから、「お父さんのお気に入りの服を持ってきて下さい」と言われていました)、遺体はそのままストレッチャーに乗せられ、霊安室に運び出されました。

霊安室にいられる時間はさほどなかったのですが、その間に母が父の兄弟と連絡を取り、どういう経緯か忘れましたが、その後、会社へ連絡が行き、結局、父の勤めていた会社から手配された葬儀社と母が連絡を取って、父の遺体は自宅へ搬送されることになりました。

大急ぎで退院手続きと会計を済ませ、お世話になった病院関係者に最後の挨拶をし、父の遺体を乗せた車に続き、私達はその後をタクシーで追いました。(どのタイミングで受け取ったのか不明ですが、この時、母は父の死亡診断書を持っていました)

自宅に着くと葬儀社の方がすぐに駆けつけ、早速葬儀についての説明を受けることに。

(父の時は社葬だったので、私達が葬儀社からプランを提案されることはありませんでしたが、普通は葬儀社から何種類かのプランをいきなり提案されるようなので、ワケがわからないまま納得のいかないお葬式をしないためにも、時間が少しでもあるようなら、信頼できる葬儀社を事前に調べておくことも必要かもしれません。私の場合、母の時も結局そうならなかったので、必要ありませんでしたが)

お通夜、告別式の段取りを、駆け付けた父の会社の社長さんと母が葬儀社スタッフから聞いている間に、私は父の遺体を寝かせるお布団の用意。勿論、北枕。

お布団の用意ができると、父の遺体はそこに寝かされ、葬儀社の方が手際よく場を整えてくれました。(一膳飯だけ私達が用意。日頃父が使っていた茶碗とお箸を使用)

程なくして、我が家と昔からご縁のあるお寺のご住職が到着。

軽く読経してもらった後、今後の段取りなどを話し合い(確かこの時に戒名を頂いて、良い戒名ですね云々のやり取りがあったような?)、ご住職を見送りました。

その後、まだ役所が開いている時間だったので、母から父の死亡診断書を受け取り、まずコピー。(何部必要になるかわからなかったので、10部ぐらいコピーした?何に必要になるか、その時には知りませんでしたが、その後の手続き(保険手続きなど)にいろいろ必要だったので、多くコピーしていて損はありませんでした)

そして、そのまま役所に行き、死亡診断書を見せ、その場で教えられるまま、死亡届に必要事項を記入して提出。火葬許可証を受け取り、帰宅。(火葬許可証はこのタイミングで葬儀社スタッフに渡した?)

翌日のお通夜に向け、祭壇がどんどん出来上がっていく中、母と私はようやく落ち着くことができたのですが、とにかくそこに至るまでが忙しすぎて、泣くヒマなんてありませんでした。(多分、殆どの方がそうだと思いますが)

その後は翌日に納棺されるまで、父の遺体を母と交代で夜通し見続けることになったのですが、多少の違いこそあれ、病院で亡くなった人の家族のその後と言うのは、こんな感じで恐ろしく忙しいスケジュールになると思いますので、一人娘や一人息子、他に頼れる親類縁者がいない、そんなニートや引きこもりの方は特に、親御さんが亡くなった後、自分が何をしなければならないか、ある程度、事前に頭に入れておくことをオススメします。(私も父の時は母がいたからまだ良かったのですが、何も知らずにいきなり1人でこの全てを行うのは本当に大変だと思うので)

以上が、父のお通夜前日までの出来事です。

かなり長い年月を経ているので記憶が曖昧な所があったり、現在と違う点が若干あるかもしれませんが、ご参考までに。


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